名古屋高等裁判所金沢支部 平成6年(ネ)103号 判決 1996年10月30日
平成六年(ネ)第九八号事件控訴人同年(ネ)第一〇三号事件被控訴人(第一審原告)
甲野花子
(以下「第一審原告」という。)
右訴訟代理人弁護士
鳥毛美範
段林和江
奥村回
西村依子
宮西香
平成六年(ネ)第九八号事件被控訴人同年(ネ)第一〇三号事件控訴人(第一審被告)
株式会社乙川建設
(以下「第一審被告会社」という。)
右代表者代表取締役
乙川一郎
平成六年(ネ)第九八号事件被控訴人同年(ネ)第一〇三号事件控訴人(第一審被告)
乙川一郎
(以下「第一審被告乙川」という。)
右両名訴訟代理人弁護士
田中幹則
木梨松嗣
智口成市
主文
一 第一審原告の控訴に基づき、原判決を次のとおり変更する。
二 第一審被告らは、第一審原告に対し、各自金一三八万円及びこれに対する平成四年一月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 第一審原告のその余の請求をいずれも棄却する。
四 第一審被告らの本件各控訴を棄却する。
五 訴訟費用は、第一、二審を通じこれを四分し、その一を第一審被告らの負担とし、その余を第一審原告の負担とする。
六 この判決は、第一審原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 第一審原告
1 平成六年(ネ)第九八号事件につき(当審における請求の拡張)
(一) 原判決を次のとおり変更する。
(二) 第一審被告らは、第一審原告に対し、各自五五〇万円及びこれに対する平成四年一月一八日から支払済みまで年五分の割合による各金員を支払え。
(三) 訴訟費用は、第一、二審とも第一審被告らの負担とする。
2 平成六年(ネ)第一〇三号事件につき
(一) 本件各控訴を棄却する。
(二) 控訴費用は、第一審被告らの負担とする。
二 第一審被告ら
1 平成六年(ネ)第九八号事件につき
(一) 本件各控訴を棄却する。
(二) 控訴費用は、第一審原告の負担とする。
2 平成六年(ネ)第一〇三号事件につき
(一) 原判決中、第一審被告ら敗訴の部分を取り消す。
(二) 第一審原告の請求をいずれも棄却する。
(三) 訴訟費用は、第一、二審とも第一審原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
第一審被告会社は、土木建築工事請負、土木建築用機械・器具等の賃貸等を業とする会社であり、第一審被告乙川は、同会社の代表取締役であるが、妻と別居中で、子は独立しており、肩書住所地にある自宅(以下「自宅」あるいは「乙川宅」という。)で一人暮らしをしていた。第一審原告は、平成三年一月二一日(以下においては、特に表示しない限り、年号は平成三年である。)、第一審被告会社の従業員として雇用され、同会社の代表者の自宅である乙川宅で家政婦としての仕事に従事するようになった。
2 本件加害行為の経過
(一) 性的言動の始まりと継続
第一審被告乙川は、第一審原告に対し、一月末ころから、乙川宅において、昼食時及び第一審原告が積雪のため宿泊を余儀なくされた日の夕食時に、妻に逃げられたことについて、「何で俺はこんな目に遭わねばならんのかね。」などと泣き言を言って同情を買おうとし、「あんた親切やねえ。」とか「情が移ったらどうする。」などとも言い出した。また、食事中にいきなり第一審原告の耳を触り、これに驚いて振り向くと「あんた感じやすいんやねえ。」と言い、このようないわばちょっかいをかけるようなことは、その後も繰り返された。右夕食時には、「片山津に行って処理して来ないかん。」、「片山津に行って来る分、あんたにあげた方がよいから。」などとも言った。その後も、第一審原告の胸を触ってこようとしたり、抱きつくようにしたり、首筋に口を持ってくるようなこともし、第一審原告が乙川宅に宿泊した時、第一審被告乙川が入浴の際、「背中を流してくれ。」と要求するようになった。そうして、ついには、「今五〇〇〇円持っているから、これをあげるからやらせてよ。」などと言って、きつく抱きすくめるようになった。これに対し、第一審原告は声を大きくし、力一杯押しのけて、身を守っていた。その後も、第一審被告乙川は、「片山津云々」と言いながら、第一審原告の胸に手をやったり、抱きついたりする行動を繰り返した。
(二) 強姦未遂行為
第一審被告乙川は、三月二七日昼食後の午後二時ころ、乙川宅において、いつものようにしつこく誘う言動をした後、立ち上がったので、仕事に出かけると思って第一審原告も立ち上がったところ、「お金をあげるから、ねぇ」と言いながら突然第一審原告の後ろ側に回り、スラックスを下着もろとも太股まで下ろし、押し倒して上から襲いかかって強いて姦淫しようとする行動に出たが、第一審原告が大声を出して必死の抵抗をしたため、第一審被告乙川はこれにひるんでしまい、その目的を遂げることができなかった。
(三) 第一審被告乙川の嫌がらせ
第一審被告乙川は、第一審原告に対し、前記の強姦未遂があって後も以前と同様に、四月上旬ころ「一回だけやらせてよ。二回、三回とは言わんから。」とか「アダルトビデオを借りてきてあんたに見せるから、まじめに見て、で、感じたら一回だけやらせてよ。」などと言って言い寄り、「あんたの子供に一〇〇〇円やるから。」などと言って歓心を買おうとした。同月四、五日ころ、第一審原告が第一審被告乙川に対し、毅然とした態度で「社長が私にやっていることはセクハラです。」と言ってからは、言い寄らなくなったが、第一審原告の仕事中に頻繁に電話をかけ、受話器を取ると切り、取るのが遅れると文句を言うなどの嫌がらせをし、これとほぼ時期を同じくして昼食に帰宅しなくなり、その代わりに第一審被告会社事務員の訴外酒井清美(以下「酒井」という。)に弁当を作らせ、また、家事にかかわる支払関係も第一審被告会社の事務所に移してしまい第一審原告の仕事を取り上げた。また、五月上旬ころには、第一審原告を第一審被告乙川に紹介した訴外塗師幸子(以下「塗師」という。)に「雨上がりに草むしりをしてはいけない。」などと文句を言わせたり、高窓のガラスに泥の筋がついているなどと難癖を付け、五月下旬には塗師に第一審原告を第一審被告会社事務所に呼び出させ、第一審原告が日ごろ相談に乗ってもらっていた訴外丙田二郎(以下「丙田」という。)に、電話で第一審原告を解雇することの了解を求めるなどして第一審原告を解雇しようとした。六月一五日には酒井から第一審原告に弁当を持参するように言わせ、これについて第一審原告が質問書を出すと自宅待機を命じ、ボーナスを支給せず、また、七月三日から作業日報の作成という無駄な作業を命じ、第一審原告の芝刈りの仕方が悪いと難癖を付けるなどの様々な嫌がらせを繰り返した。
(四) 第一審被告乙川の暴行
八月七日、第一審原告は、自己の自動車を乙川宅の裏の空地に止めていたところ、第一審被告乙川がやって来て「俺が車止める所に車置くな。」などと言ったので、「はい。」と答えてすぐに車の所へ行こうと勝手口付近に来たが、このような嫌がらせに我慢ができず、「このこともセクシュァル・ハラスメントの一環で、私へのいじめと受け止めていますからね。」と言ったところ、第一審被告乙川は「あんたが欲を出して俺に迫ってきた。」などと、互いに言い合いをした。その後、第一審原告が裏庭に出て車を動かして同宅の客間外側付近に戻ってきたところ、第一審被告乙川が再び嫌がらせの発言をしたため、第一審原告が「酒井事務員は女でありながら、社長のセクシュァル・ハラスメントに加担し、女でありながらいじめをしてくるなんて前代未聞ですね。」と言った途端、第一審被告乙川は「貴様」と言っていきなり第一審原告の左耳を殴打した。
(五) 解雇
第一審被告乙川は、五月下旬ころに前記のとおり第一審原告を解雇しようとしたのを初めとして、六月中旬には、辞めさせるつもりで自宅待機を通告し、八月五日には「辞める気はありません。」という第一審原告に対し、「おらとこ、辞めたいがか。辞めたいがなら、辞めたいって言わなきゃ駄目よ。」などと言って第一審原告を職場から排除しようとのねらいをあからさまに示していたところ、九月一四日に至り、第一審被告乙川は、第一審原告に対し、「辞めてくれ、来なくていいよ。」などと言って、給料の1.5月分を渡そうとして、第一審原告を事実上解雇した。第一審原告は、同月一七日出社したが、第一審被告乙川は、「仕事に出てこなくてもよい。鍵を置いて行きなさい。」、「今後出社すると家宅侵入罪に引っかかる。」などと言って出社を拒否し、第一審原告に出社できないようにしてしまった。
3 第一審被告らの責任
(一) セクシュアル・ハラスメントについて
いわゆるセクシュアル・ハラスメントとは、職場において、相手方の意思に反してなされる性的行為で、その行為が労働条件に影響を与えていることを特質とするものであり、これには、職場における採用、昇進、職の保持などとの交換条件として、上司が部下の女性に対して性的な要求に従うことを求め、これに従わない場合には解雇、配転、昇給などの不利益やいじめなどの報復を伴うもの(対価型ハラスメント)と、女性が職場で接触、凝視、さらには言葉などによって性的嫌がらせを受けるもの(環境型ハラスメント)の二つの類型がある。そうして、セクシュアル・ハラスメントが労働条件に影響し、あるいは労務提供に支障を来すような行為である場合、これは、女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約一条にいう「性差別」に該当し、憲法一三条、一四条に違反し、男女雇用機会均等法一条、二条の精神及び民法一条の二に各抵触する違法な行為である。
(二) 第一審被告乙川の責任
第一審被告乙川は、雇い主という絶対的優位の立場から、被用者という弱者の立場にある第一審原告に対し、一月末ころから、その職場において、性的な言動を始め、これを継続し、三月二七日には強姦未遂行為に及んだが、第一審原告がこれを断固拒否し、それ以降事務的な態度で接するようになったため、第一審原告を第一審被告会社から辞めさせようと考え、種々の嫌がらせを始め、辞めさせようと考えていることを暗示するような言動をもとり続け、九月一四日、ついに、事実上の解雇を通告するに至ったものであり、これらの第一審被告乙川の第一審原告に対する一連の行為は、全体として、対価型及び環境型のセクシュアル・ハラスメントに該当する違法行為であるから、第一審原告に対し民法七〇九条の不法行為責任を負う。
(三) 第一審被告会社の責任
(1) 不法行為責任
右のとおり、第一審被告乙川は、民法七〇九条に基づき不法行為責任を負うところ、同人の行為は、個人の行為であると共に会社の機関としての行為としての性質を合わせ持つから、第一審被告会社は、民法四四条による責任を負うと同時に、第一審被告乙川の使用者として、民法七一五条に基づく責任がある。
(2) 債務不履行責任
使用者は労働契約上の信義則の具体化として認められる配慮義務の一環として、労働者の労務遂行を困難にするような精神的障害が生じないように職場環境を整備すべき義務を負っている。しかるところ、第一審被告会社は、第一審被告乙川が第一審原告に対して性的言葉を浴びせたり、抱きついたり、無理やり姦淫しようとしたり、嫌がらせをしているにもかかわらず、何らの措置をとらなかったもので、これは右労働環境整備義務を履行していないことになるから、民法四一五条に基づく責任がある。
4 損害
(一) 慰謝料 五〇〇万円
第一審原告は、第一審被告乙川の一連のセクシュアル・ハラスメント行為により甚大な精神的苦痛を受けたものであるところ、セクシュアル・ハラスメントが個人の人格に対する根源的な侵害行為であり、性的自己決定権に対する侵害であること、また、職場におけるその侵害は被害者にとって逃げようにも逃げ場のないものであり、働く権利への侵害という側面をも考慮するならば、第一審原告の右精神的苦痛を慰謝するためには五〇〇万円が相当である。
(二) 弁護士費用 五〇万円
第一審原告が、本件訴訟を提起し継続するには弁護士による訴訟代理行為が不可欠であり、弁護士である第一審原告代理人らに本件訴訟代理行為を委任し、相当額の報酬を支払う旨約した。本件不法行為ないしは債務不履行行為と相当因果関係にある弁護士費用は五〇万円が相当である。
5 まとめ
よって、第一審原告は、第一審被告乙川に対しては民法七〇九条に基づき、第一審被告会社に対しては、選択的に、民法四四条一項ないしは七一五条、四一五条に基づき、損害賠償として五五〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成四年一月一八日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1は認める。
2 同2について
(一) 同2(一)のうち、第一審被告乙川が第一審原告に対し、「片山津に行って処理して来ないかん。」、「背中を流してくれ。」と言ったことは認めるが、その余は否認する。第一審被告乙川の「片山津云々」の発言は、塗師と三人で飲酒歓談中に、塗師の質問に答える形でのものであり、第一審原告は、笑いながら「そんなにお金を遣う位なら、私らを相手にしたらどうや。」といっており、これらは、男と女の大人の冗談話にすぎない。また、「背中を流してくれ。」というのは、正確には、「今日は疲れた、ゆっくりとだれかに背中を流してほしいわ。」というものであって、冗談に過ぎず被用者に対する命令ではない。
(二) 同2(二)は否認する。第一審被告乙川は、第一審原告主張の強姦未遂があったとされる当日は出張しており、乙川宅にはいなかった。また、右事実がなかったことは、パンティストッキングを下着もろとも脱がせることは不可能に近いこと、第一審原告は当日の午後六時に珠洲市飯田サンユーホームセンターでインテリア用の張り紙を購入し、かつこれを乙川宅に張っていること及び強姦未遂行為に対する抗議を行っていないことからしても明らかである。
(三) 同2(三)のうち、第一審被告乙川が第一審原告の作る食事を取らなくなったこと、弁当の持参を指示したこと、金銭の支払を第一審原告にさせなくなったこと、作業日報をつけさせたこと及びボーナスを支給しなかったことは認めるが、その余は否認する。第一審被告乙川が食事を取らなくなったのは、心のこもった家庭料理を作ってくれるとの期待に反して、第一審原告が出来合いの物を出すだけで食事の内容が一向に改善されなかったためで、第一審被告乙川の食事を作る必要がなくなれば、お相伴にあずかれないため弁当持参を指示したのであり、金銭の支払をさせなくなったのは、第一審原告の金銭管理に疑いが生じたためであり、ボーナスを支給しなかったのは、第一審被告会社には支給基準はなく、社長である第一審被告乙川が会社の利益や本人の実績、貢献度、勤続年数及び働き振りに従い、支給することになっているところ、第一審原告の実績等から、未だ支給基準に達していなかったことによるものであり、これらは嫌がらせではない。
(四) 同2(四)のうち、第一審被告乙川が第一審原告の頬を平手で一回軽く殴打したことは認めるが、その余は争う。第一審被告乙川は、第一審原告に対し、常々駐車場所について注意を与えていたところ、当日も駐車を禁じていた場所に駐車させていたので注意したところ、これに素直に従わず、かえって言いがかりを付け、ヒステリー状態となり、丁寧に冷静になるように努力したがかなわず、たまたま乙川宅にお産で帰っていた娘に心配をかけ、その健康を害することを気遣って第一審原告を制するためやむを得ず第一審原告を殴打したにすぎない。
(五) 同2(五)のうち、第一審被告会社が九月一四日に第一審原告を解雇したこと、給料の1.5か月分を渡そうとしたこと、出社を拒否したことは認めるが、その余は否認する。第一審被告会社のした第一審原告の解雇は、それまでの第一審原告の勤務態度の悪さ、異常な反抗的言動及び指示命令違反を理由として行ったものであり、正当な理由のある解雇である。しかも、第一審被告会社は、第一審原告に対し1.5か月分の解雇予告手当を支払っており、この点からも解雇は有効であり、また、第一審原告も解雇を承認していることからも、本件解雇は違法ではない。
3 同3について
(一) 同3(一)は争う。なお、本件は、いわゆるセクシュアル・ハラスメント事件と評価すべきではない。第一審被告会社は、第一審被告乙川に対して家政婦として仕事をしてもらうため第一審原告を雇用したもので、勤務条件が良かったのはその分誠意をもって仕事をしてもらいたかったからである。第一審原告は、第一審被告乙川に対し好意を持っており、当初は互いに良好な状態にあり、共に夕食をし、ビールを飲んだり、猥談をしたこともあった。第一審原告は、第一審被告乙川の留守の間に乙川宅に泊まったり、風呂を使ったこともあったが、第一審被告乙川は寛容な態度で接していた。しかし、第一審原告の仕事振りは、肝心の食事のまずさに加えて整理整頓がずさんで、出納の公私混同や常識はずれ等の面があり、また、勝手気ままに振る舞う態度が目に付くようになったので、第一審被告乙川が注意指導し、改善策をとったところ、第一審原告がこれに立腹して反抗的態度をとり、両者の対立関係に至ったものであり、本件は、第一審原告の勤務態度に起因した紛争であり、これが事件の実態である。
(二) 同3(二)は否認する。
(三) 同3(三)(1)、(2)は否認する。
4 同4(一)は否認し、(二)は争う。
三 抗弁(権利濫用)
第一審原告は、虚構の事実を基に、また、セクシュアル・ハラスメント事件と称し、マスコミを利用して第一審被告らを誹謗中傷しているもので、第一審原告の本訴提起及びその遂行は第一審被告らに対する名誉毀損、信用毀損として不法行為に該当するものであり、第一審被告乙川が第一審原告を殴打したことによる損害賠償義務があるとしても、その経緯、症状の軽微さ等を考慮し、比較衡量すれば、第一審被告らに対する第一審原告の本訴請求は、権利の濫用として許されない。
四 抗弁に対する認否
抗弁事実は否認する。
第三 証拠関係
本件訴訟記録中の原審・当審書証目録及び証人等目録の記載を引用する。
理由
一 当事者等
請求原因1の事実は当事者間に争いがなく、右争いのない事実、証拠(甲四五、六三、原審証人丙田二郎、原審・当審第一審原告本人、同第一審被告会社代表者兼第一審被告乙川本人(以下証拠方法として摘示する場合は「第一審被告乙川本人」と略称する。))と弁論の全趣旨によると、以下の事実が認められる。
1 第一審原告は、昭和二三年三月二五日に生まれ、昭和三八年に中学校を卒業して後、大阪に出て美容師見習いをして資格を取ったが五年ほどで止め、喫茶店の住込店員及び貿易商社員として各五年ほど勤め、同五三年に訴外戊木秋男と結婚し、同年七月一一日に長男太郎をもうけたが、戊木と別れて珠洲市に戻り、昭和六三年には調停により長男の親権者を第一審原告に変更し、以後肩書住所地で太郎と実父、義母の四人で暮らしている。平成二年中は、珠洲市飯田にあるスーパーマッケットに三か月ほど勤めた後、第一生命保険相互会社(以下「第一生命」という。)に四か月ほど勤務し、その余は丙田が経営する「ホテル能登路」でアルバイトをしていた。
2 第一審被告乙川は、昭和一六年六月一五日生まれで、同四四年ころから土木関係の仕事をしており、同五七年に第一審被告会社を設立して以後、代表取締役の地位にある。第一審被告乙川は、子供が独立後、乙川宅に妻春子と二人で住んでいたが、夫婦間のもめ事が原因で平成二年一二月三〇日ころに妻が家を出ていってしまってからは、一人暮らしをしており、時々輪島市に住む実母が来て、身の回りの世話をすることがあった。第一審被告会社は、株式会社とはいえ第一審被告乙川の肩書住所地を本店所在地とし、資本金二〇〇〇万円の名ばかりの同族会社であり、実際の業務は、乙川宅から約三キロメートル離れた<住所略>にある営業所(以下「営業所」という。)で行っており、主たる業務は、公共事業等である一般的な土木建設請負業及び冬の除雪作業で、平成三年一月当時の従業員は男女合わせて一一名であり、事務担当者として酒井と訴外谷中周二の二名が営業所に常駐していたほか、金沢市の事務所に女性事務員一名が勤務していた。第一審被告乙川は、代表取締役とはいえ、自ら自動車や重機を運転し、また徹夜して道路の除雪作業を行うなど作業員としての役務も行っていた。
3 丙田は、昭和五年生まれの男性で、昭和三〇年ころ結婚し、東京で建築関係の会社を経営するなどしてきたが、同五五年に五〇歳を迎えた際、実業の第一線から退き悠々自適の生活を送ろうと、珠洲市谷崎のモーテル「ホテル能登路」を買い取って、単身で同市に来て、いわゆるラブホテル兼旅宿として、これを経営して現在に至っている。同五八年ころ、お手伝的従業員を募集したところ第一審原告が応募して勤務するようになって以来、第一審原告の個人的な事柄について相談に乗ってやるなど、親密な交際をしている。後記認定のとおり、第一審原告は、第一審被告会社に勤めるようになってからも、時々勤務が終わった後に同ホテルでアルバイトをしていた。
二 第一審原告と第一審被告会社との雇用契約
証拠(乙七、一一、一二、一四、原審・当審第一審原告本人、同第一審被告乙川本人)と弁論の全趣旨によると、次の事実が認められ、この認定に反する甲五〇、五一の記載部分、原審・当審第一審原告本人及び同第一審被告乙川本人の各供述部分は、右各証拠に照らしてたやすく措信し難く、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。
1 第一審被告乙川は、妻が出ていった後、実母に手伝ってもらう以外は、食事は外食や出来合いの物を買って食し、洗濯物はクリーニングに出していたものの不自由であった上、自宅の留守番や掃除などの手が足りないことから、家政婦として適当な人がいないかと、第一審被告会社によく出入りしていた第一生命の保険外交員である塗師らに依頼した。塗師は、元の同僚で当時ホテル能登路でアルバイトをしていた第一審原告が仕事は遅いが真面目で家政婦として適任であると思い、平成三年一月中旬ころ、同ホテルに第一審原告を訪ね、丙田と第一審原告に第一審被告会社の社長が妻に家出されて困っており家政婦を探している、乙川宅に家政婦として勤務してはどうかと勧めた。他方、第一審被告乙川に対して、離婚して子供と親の四人で暮らしている第一審原告が、家政婦として適任であるから採用してはどうかと言い、その際、第一審原告には後見人的立場の丙田がおり、同人はいわゆるラブホテルの経営者で第一審原告とは男女関係があると思う旨伝えていた。
2 第一審被告乙川は、一月二一日に営業所で、塗師立ち会いの下で第一審原告と面接した。その際、第一審原告が第一審被告乙川の顔を見るなり、「ブルドックみたいな顔をしているというけど、そんなことないじゃない。」などと言ってげらげら笑い出し、同被告は変な気がしたものの、塗師の第一審原告がまじめな人物であるとの言葉を信用して採用することにした。採用に当たり、第一審被告乙川は、第一審原告に対し、仕事の内容としては、主として家政婦として第一審被告乙川の昼食と夕食の仕度、洗濯、部屋の片付けや庭の手入れの他、電話番、第一審被告会社宛に届いた郵便物等を営業所に持っていくことであり、勤務時間は午前八時三〇分から午後五時までで日曜祝日は休み、給料は第一審被告会社の事務職員並の手取り月額約一〇万五〇〇〇円、通勤に軽四輪トラックを使う関係でガソリン代等を第一審被告会社で負担する、昼食は、第一審被告乙川と一緒に取ってよいということを説明し、第一審原告はこの条件を承諾した。右昼食の件は、第一審被告会社では従業員の昼食は各自が持参することになっていたが、塗師と第一審原告及び丙田の事前の打ち合わせの際、昼食準備の都合上、同じものを食べさせてもらえばよいのではないかということになり、塗師がその旨第一審被告乙川に申し入れ、同被告がこれを了解したことによるものであった。
三 第一審被告乙川の加害行為及び第一審原告の勤務状況
1 証拠(甲三六、四〇、乙七、一一、一四、原審証人丙田二郎、原審・当審第一審原告本人、同第一審被告乙川本人)と弁論の全趣旨によると、次の事実が認められ、この認定に反する乙七、九、一三、一四の各記載部分、原審・当審第一審原告本人及び同第一審被告乙川本人の各供述部分は、右各証拠に照らしてたやすく措信し難く、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。
(一) 第一審原告は、一月二四日から乙川宅に出勤し、食事の仕度や妻の出て行った後の散らかった室内などを整理し、掃除するなど家政婦として稼働した。食費などは営業所事務員の酒井からまとめて一〇万円が交付され、これを第一審原告が帳面につけて管理し、不足になったら酒井に申告して補充してもらうことにしていた。勤め出して間もなく第一審被告乙川の実母も来なくなり、第一審原告が一人で乙川宅を切り盛りしていた。第一審被告乙川は、ほとんど毎日昼過ぎに帰宅し、第一審原告が用意した昼食を第一審原告と共に居間で取り、食後は再び仕事に出、夜は第一審原告が作っておいた夕食を食べていた。第一審被告乙川は、妻が家を出てしまった後、外食が多く温かみのある手料理を期待していたが、第一審原告の用意した料理は、外で買ってきた出来合いの物をそのまま出したり、簡単な料理ばかりで、塗師に話が違うではないかと不満を漏らすことがあったが、第一審原告に対しては、そのようなことをおくびにも出さなかった。
(二) 第一審原告は、前記軽四トラックで通勤していたが、降雪時には路面が凍ってスリップして危険であったので、第一審被告乙川は、降雪時には、多少遅れてきてもよいし、午後も三時半過ぎに帰宅してもよいと指示していた。一月二八日ころ、第一審原告は降雪のため危険であるとして、乙川宅に宿泊することの了解を求めたので、第一審被告乙川は丙田がいいというのなら泊まってもよいと同人の了解を求めるように言い、丙田が了解したので、以後、第一審原告は、三月末ころまで一〇数回宿泊し、その際には乙川宅で入浴した。降雪を理由に第一審原告が宿泊する時は、第一審被告乙川は夜間除雪作業に出るのが常であり、営業所で宿泊したり、自動車の中で仮眠をとったりするため、乙川宅で寝ることはなかった。
(三) 第一審被告乙川は、第一審原告と二人だけで食事をすることに慣れてくるに従い、個人的な心情を吐露するようになり、昼食時、あるいは第一審原告が宿泊した日の夕食時において、第一審原告に対して妻に去られたことについて、「何で俺はこんな目に遭わねばならんのかねぇ。」と泣き言を言って第一審原告の同情を買おうとしたり、「あんた親切やねぇ。」と言ったりして気を引くような態度を執るようになった。石川県知事選挙の投票日前日の二月二日の土曜日、塗師が乙川宅に第一審原告を訪ねてきたので、夕食を作ってもらうことになり、第一審原告はこれを手伝ったが、午後八時ころ第一審被告乙川が夕食のため帰宅したので、三人で食事することとなり、一緒にビールを飲んで歓談したが、話が弾んで猥談となり、塗師が第一審被告乙川にセックスの処理はどうしているかなどと尋ねると、第一審被告乙川が「片山津温泉へ行って芸者遊びをして処理している、一回行くと何やかやと二〇万円位もかかる。」と言ったため、塗師も第一審原告も笑いながら「そんなにお金を使うのなら、私らを相手にしたらどうや」などと言ったことがあった。このような猥談を交わすことがあって、第一審被告乙川は、前記食事の後などの会話の際、第一審原告に対し、「情が移ったらどうする。」と言ったり、いきなり耳を触り、第一審原告が驚いて振り向くと「あんた感じやすいんやね。」と言い、また、夕食時には一人で飲みながら「片山津に行って処理してこないかん。」、「片山津に行って来る分、あんたにあげた方がよい。」などと言い、さらには、第一審原告の胸を触ろうとし、あるいは抱きつくようにしたり、首筋に口を持ってくるなどの行動をした。これに対し、第一審原告は、第一審被告乙川の言動に不快感を抱いていたが、同被告の感情を害さないように、笑いながら「まあ何ですか」と言って避けるようにしていた。第一審被告乙川のこのような行動は、強引ではなかったが、しつこく、第一審原告に対し抱きしめるようなことをしたり、「今、五〇〇〇円持っているから、これをあげるからやらせてよ」と直接的に性交渉を求めてきたりなどした。これに対しても、第一審原告は、手で押したり、外に聞こえるような声で、「まあ社長さん。」と言ったりなどすると、それ以上の行動に出ることはなかった。また、第一審被告乙川は、入浴時に、背中を洗ってほしいなどということがあった。
2 証拠(甲三六、四二、原審・当審第一審原告本人)と弁論の全趣旨によると、三月二七日の午後、第一審被告乙川は、居間で第一審原告と昼食を取り、しつこく関係を迫るようなことを言ったりしていたが、立ち上がったので、同被告が仕事に出るのかと思って同様に立ち上がった第一審原告に対し、更に「お金をあげるからねぇ。」と言いながら、後ろに回って、いきなりスラックスに手をかけて下着もろとも太股までずらせた。第一審原告はその場で前に倒れ畳に手を突いたところに、第一審被告乙川が身体を押し重ねてきた。第一審原告は、畳にうつぶせになり亀の子のような格好で丸くなって、大声で「やめてっ、いやぁー。」などと叫んで抵抗したので、第一審被告乙川は、立ち上がって外へ出ていってしまった事実が認められる。
第一審被告乙川本人は、原審及び当審において、第一審被告乙川は右当日の昼食を外で取っており、帰宅していないから右認定の事実があり得ない旨供述し、また第一審被告乙川作成の報告書等(乙七、一九)にはその旨の記載があるところ、これを裏付ける資料として、第一審被告らは、当審において、三月二七、八日ころの午後一時一〇分ころ、訴外岩井俊雄が凰至郡能都町柏木地内のレストラン「ヘルメス」で第一審被告乙川と出会った旨記載のある同訴外人作成の申述書(乙三〇)を提出するが、その内容自体不自然であり直ちに信用し難いし、また、乙二、三(いずれも能登有料道路の領収書)、二七(酒井の申述書)によると右当日、第一審被告乙川は能登有料道路を通って金沢に行き、一泊して翌日柳田村に帰ってきたことが認められるだけであって、いずれも右認定の第一審被告乙川の三月二七日の強制猥褻行為があったことを疑わせるには未だ不十分である。また、当日の第一審原告の服装や右行為後の第一審原告の行動から右認定の第一審被告乙川の行為があり得ないとの第一審被告らの主張については、これらの事情があることと、第一審原告が右の強制猥褻行為を受けたこととは何ら矛盾するものとは認められないから、右主張は採用の限りではない。他に、右認定を左右するに足る証拠はない。
3 証拠(甲一ないし三、三八、三九、四四、四七、乙七、一一、一三、一四、一六、一七、二八、三一、三二、原審証人丙田二郎、原審・当審第一審原告本人、同第一審被告乙川本人)と弁論の全趣旨によると、次の事実が認められ、この認定に反する甲四五、五一、五三、五六、五七、六二の各記載部分、原審証人丙田二郎、原審・当審第一審原告本人及び同第一審被告乙川本人の各供述部分は、右各証拠に照らしてたやすく措信し難く、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。
(一) 第一審原告は、第一審被告乙川から前記認定の猥褻行為を受けて三、四日後に丙田に相談したところ、同人から今後は、第一審被告乙川に誤解されないように、卑猥なことを言われたり、身体を触ろうとしてきた場合には、これまでのように笑って済ませてしまうのではなく、はっきりと拒絶し、また日常的にも事務的に対応するようにと助言され、そのようにするよう心がけた。しかし、第一審被告乙川は、その後も相変わらず以前と同様、性的な言動をして、ちょっかいをかけてくるようなことがあり、四月上旬ころ、第一審原告は、第一審被告乙川に対し、「社長が私にしていることは、セクハラです。」とつっけんどんに言うと、「セクハラって、なんやいねん。」と尋ねたので、第一審原告が「今、テレビとか新聞とかによく言われているでしょう。」と答えると、一瞬驚いた顔をして、第一審原告の顔を見つめ、食事も取らないで出ていってしまった。これ以後、第一審被告乙川は、第一審原告に対して、前記認定のような猥褻な言動をしなくなり、また、自宅で昼食を取ることもなくなった。
(二) ところで、第一審被告会社に入社以後の第一審原告の勤務振りについては、当初の約束に反して、第一審被告会社宛の郵便物等を営業所に持参しないので、毎日、酒井が乙川宅まで取りに来ており、また、電話になかなか出ないということがあった。また、さしたる理由もないのに定刻に出勤しないことがあったり、二月上旬、第一審被告会社の得意先の商社員が乙川宅に宿泊した翌朝、朝食を作れないなどの不手際があったし、第一審被告乙川の食事の材料を勤務時間外に宇出津ではなく、珠洲市飯田で買ったり、精肉を前日に買って自宅に保管しておくなどの経理関係の誤解を招く行為も平気でした。また、第一審被告乙川の妻が出ていってしまった後の衣類の整理などをするように言われていたところ、第一審原告は、同女の衣類と第一審被告乙川の衣類とを区別することなく、これらの衣類をビニールのゴミ袋に詰め込み、第一審被告乙川の指示を求めるなどしないまま、これを部屋の中に放置するなど、第一審被告乙川の期待に沿わない整理整頓の仕方をしていたため、第一審被告乙川は、四月四日に酒井に手伝わせ、また、二〇日ころには酒井と塗師に部屋の片づけを手伝わせた。右のとおり第一審原告の仕事振りは、当初から終始決して芳しいものではなかった。
(三) 第一審被告乙川が昼食に帰宅しなくなってからは、第一審原告は、自分のために昼食を作っていた。そのころの第一審原告の勤務振りについては、摘み取った雑草を乙川宅前の溝に捨てて、溝を詰まったと近所から苦情が寄せられたり、前同様なかなか電話に出なかったりした。そのため、第一審被告乙川や酒井が、第一審原告に電話のことや、掃除の仕方を注意すると、第一審原告は、それがセクシュアル・ハラスメントであると言って自己の非を認めず、丙田に助言されたとおりにコードレス電話を買ってくれなどと言って抗議することがあり、そのために第一審原告と第一審被告乙川は、互いに不信感を募らせていった。
(四) 五月末ころ、第一審被告乙川は、塗師と酒井に相談して、第一審原告に退職してもらおうと考え、第一審原告を営業所に呼ぶと共に、塗師が第一審原告の後見役の丙田に電話して、第一審原告の第一審被告乙川に対する口のきき方が悪いことなどを理由に解雇しようと考えていると言って、第一審原告に対する処置を一任してくれないかと言ったところ、丙田から「第一審被告乙川がそう言うのは、同人が社長として、女性従業員に対してしてはならないことをしているのではないかと伝えてほしい。」と言ったため、この段階での解雇の話はうやむやに終わってしまった。
(五) 右のようなことがあってから、丙田は第一審原告に対し、第一審被告乙川らとの交渉については、文書でするようにと第一審原告に助言した。酒井は、第一審被告乙川が昼食のため帰宅しなくなってからも、従前と変わらず第一審被告会社から月々渡される一〇万円の経費を使って買い物がされているので、第一審原告の出納帳を検査したところ、前記不明瞭な買い物の一件が分かったので第一審被告乙川に報告した。以後、第一審被告乙川は、乙川宅の家事に関する出費について、第一審原告にその管理をさせないようにし、集金が来たら営業所に伝票を回すよう指示した。また、第一審被告乙川は、六月一五日の土曜日に第一審原告に対し、以後弁当を持参するようにとの指示を出した。これに対し第一審原告は、丙田に相談の上、弁当持参の指示が、昼食は乙川宅で自由に食べてよいとの採用条件に違反する、条件を変更するのならその理由を納得のできるよう書面で回答するよう求める旨記載のある六月一七日付の質問書(甲一)を作成し、翌一八日に営業所に持参して抗議した。第一審被告乙川の指示により酒井が第一審原告に対し、しばらく休むように言ったところ、第一審原告は、その場で丙田に電話して相談したところ、同人から休んでも給料は支給してもらえるのか確認するようにと言われ、これをそのまま酒井に言ったところ、第一審被告乙川と相談して有給であるとの返事であったので、同日午後から二二日まで仕事を休み、その間、ホテル能登路でアルバイトなどをしていた。第一審被告乙川は、第一審原告に辞めてもらおうと思ったが、翌月に娘の訴外丁海夏子(以下「夏子」という。)が第二子の出産後に里帰りしてくることが決まっており、すぐには家政婦が見つかるものではないので、しばらくは第一審原告にいてもらおうと思った。また、昼食を乙川宅で取ってよいとしたのは、自己のお相伴にあずかってもよいとの恩恵的な気持ちから出たものであり、昼食を取らなくなった以上は、この恩典もなくなったものとの思いから言ったことが、前記質問書で採用条件に違反すると抗議されたため、このようなことで第一審原告を相手にするのが面倒と思い、昼食の補助金を出すこととして、弁当持参の指示を撤回することにし、同月二一日付で第一審原告の前記質問書に対し「今までの条件で勤めてください。」との回答書(甲二)を作成し、塗師にホテル能登路まで届けてもらった。
(六) 第一審原告は、右回答書を受け取った翌日の同月二三日から再び出勤するようになったが、第一審被告乙川は、乙川宅の庭の芝の刈り方がずさんであるなど第一審原告の毎日の仕事に不信の念を抱き、第一審原告に対し、七月一日に作業日報と表題を付けたノートを交付して、その日にした作業内容を記載するよう指示した。しかし、第一審原告は、同月三日からその日一日にした作業内容を事細かに記入するようになったものの、これを当日に書かないばかりか、持ち帰って丙田と相談の上第一審被告乙川に対する質問事項を記入したりして、第一審被告乙川との議論の場となってしまったため、同月一三日には第一審被告乙川の方からこれを廃止してしまった。この間の同月九日と一一日には、第一審被告乙川や酒井からの芝刈りが十分ではないとの注意に対抗するため、自己が芝刈りをした後の状況等を写真に撮るなどの証拠保全措置を講じていた。同月一一日に夏子が第二子を出産し、一六日に長女を連れて里帰りしてきたので、第一審被告乙川は、第一審原告に夏子らの世話を頼むと共に、訴外佐田静子を午後五時から翌朝の午前八時半までの夜間の家政婦として雇い、夏子の世話をしてもらうことになった。第一審原告は、佐田を雇ったのも自分の仕事を取り上げようとのたくらみと思い、佐田につらく当たったり、また、同人に自己が第一審被告乙川や酒井からいじめられていると訴えたりしたため、佐田は予定より早く八月九日ころに辞めてしまった。
4 証拠(甲四ないし六、乙四の1、2、七、一四、一五、二五、二九、三一、三二、原審証人丙田二郎、原審・当審第一審原告本人、同第一審被告乙川本人、原審調査嘱託の結果)と弁論の全趣旨によると、次の事実が認められ、この認定に反する甲五、六、三七、五一、五三、五七の各記載部分、原審証人丙田二郎、原審・当審第一審原告本人の各供述部分は、右各証拠に照らしてたやすく措信し難く、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。
第一審被告乙川は、第一審原告に対し、当初から第一審原告の通勤用の軽四トラックの駐車場所として、乙川宅の東側にある第一審被告会社の駐車場の西側乙川宅寄りの一角を指定していたが、乙川宅の出入りに不便なため、第一審被告乙川の自家用車庫前、あるいは乙川宅裏側の勝手口付近に軽四トラックを止めるため、第一審被告乙川が注意をしていたが、八月七日午前中に、第一審被告乙川が自宅に自家用車を取りに帰ってきたところ、自家用車庫前に第一審原告が軽四トラックを止めていたのを見つけ、自宅に入るや第一審原告に対して、これを非難して車を移動させるよう言ったところ、口論となり、第一審原告が第一審被告乙川に対し、声高に「このこともセクシュアル・ハラスメントの一環として私は受け止めていますからね。酒井事務員は女性でありながら、社長のセクシュアル・ハラスメントに加担して一緒になって私をいじめるなんて、前代未聞ですね。」と言うや、第一審被告乙川は、これまでの第一審原告との軋轢とこれが娘の夏子に知られてしまうこと等に激高して、「貴様」と言うなり第一審原告の頬を平手で一回殴打してしまった。第一審原告は直ちに丙田に第一審被告乙川から叩かれたことを伝え、宇出津総合病院耳鼻咽喉科に診察を受けに行った。その間、第一審被告乙川は、右車庫の自家用車で出かけ、午後には帰宅した。同日午後、乙川宅に第一審原告が丙田を連れて現れ、初対面の丙田は、第一審被告乙川に対して、午前中の右出来事について確かめに来た旨述べた。第一審被告乙川は、丙田に対し、これまでのてん末を話した上、弁当代を支給するから弁当を持参させてほしい旨言ったところ、丙田が善処するかのような態度であったので、第一審原告には引き続いて家政婦として働いてもらう意思のあることを述べ、丙田との話し合いを終えた。第一審原告は、翌日、珠洲市内の井端内科医院で受診し、殴打による頭痛の疑いにより三日間の安静加療を要するとの診断を受け、この診断書を第一審被告乙川に渡して勤務を休んだ。第一審原告は同月一〇日には宇出津総合病院脳神経外科で受診したが、七日の耳鼻咽喉科での診察と合わせて、外傷による左耳打撲及び左側頭部打撲については、レントゲン検査、CTスキャン、聴力検査をしたにもかかわらず異常なく、愁訴によるもので軽症との診断であった。
5 解雇
証拠(甲七ないし一一、四六、乙七、一二、一四、三三、原審・当審第一審原告本人、同第一審被告乙川本人)と弁論の全趣旨によると、次の事実が認められ、この認定に反する甲五〇、五一の各記載部分、原審・当審第一審原告本人の供述部分は、右各証拠に照らしてたやすく措信し難く、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。
第一審被告会社では、ボーナス支給規程はないため、従前から従業員の勤務態度・成績等を勘案してボーナス支給の是非及びその額を決めていたが、第一審被告乙川は、八月一三日、第一審原告の勤務期間、勤務成績等から、ボーナス支給の対象外であると判断してボーナスを支給しなかったところ、第一審原告は、酒井に対しボーナスを支給するよう迫り、ボーナスを支給しない理由を尋ねる旨の同月一九日付の質問書(甲七)を提出した。しかし、第一審被告乙川は右質問を無視した。第一審被告乙川及び酒井は、第一審原告の執拗に繰り返される口頭及び文書による抗議や、佐田や隣人等の第三者に対してまで第一審被告乙川が淫らなことを仕掛けたなどと言いふらすことから、以後、第一審原告を家政婦として勤務させることはできないとの判断に至り、第一審被告乙川は、第一審原告を解雇することに決した。九月一四日、第一審原告は、乙川宅で第一審被告乙川に対し、前記丙田との話し合いの際に提案された弁当持参の件については、従来通りにしてほしいとし、なぜ条件を変更するのかということ及び弁当代を支給するのならその額はいくらかとの質問を記載した九月一一日付の文書(甲八)を手渡そうとしたところ、第一審被告乙川は、第一審原告に対し、既に用意した解雇予告手当として1.5月分の給料を入れた封筒を示し、第一審原告と丙田と話し合ってよい方向に行くと思って、安心していたけれども第一審原告の考え方は変わらず、家の中が混乱するばかりであるから、他の条件の良い職場を探すように述べ、右封筒を受け取って第一審被告会社を辞めるようにと申し渡した。第一審原告は、まだ辞めるつもりはない、第一審被告乙川にいじめられた、自分は悪くないと言ってこれを受け取ろうとしなかった。第一審被告乙川は、右解雇予告手当を同月一七日に第一審原告の銀行預金口座に振り込み入金し、同日、来宅した第一審原告に対してその旨伝えると共に、第一審原告を使うつもりはない、以後、乙川宅に入ると家宅侵入罪で訴えると言った。第一審原告は、同月一七日付で一四日及び一七日に言ったことについての質問書(甲九)を第一審被告会社宛に送ったが返事がなく、一〇月三一日付で、以後出社しないと記載した文書(甲一〇)を第一審被告会社に送って退職の意思を表明した。
四 第一審被告らの責任
1 前記三1ないし4で認定した事実からすると、第一審被告乙川は、第一審原告を雇用して間もなく、自己が雇い主の立場にあることを奇貨として、離婚して当時一人身であった第一審原告に、妻に逃げられた不遇の身をかこつような言動をし、二月二日夜、塗師と三人で飲食した際、第一審被告乙川の卑猥な言葉にも第一審原告が嫌がる風なく大胆に応じたことに気を許し、以後、乙川宅で家政婦として勤務中、あるいは勤務時間後の第一審原告に対し、性的な言動を平気で行い、大胆にも第一審原告の胸を触ろうとしたり、首筋に口を寄せるなどし、挙げ句には性交渉を迫り、三月二七日には「お金をあげるから」と言って、いきなりスラックスを下着ごとずらせる猥褻行為に出、以後も、四月上旬に「社長のしていることはセクハラである」と抗議されるまで、右性的な言動を繰り返したことが明らかである。
ところで、職場において、男性の上司が部下の女性に対し、その地位を利用して、女性の意に反する性的言動に出た場合、これがすべて違法と評価されるものではなく、その行為の態様、行為者である男性の職務上の地位、年齢、被害女性の年齢、婚姻歴の有無、両者のそれまでの関係、当該言動の行われた場所、その言動の反復・継続性、被害女性の対応等を総合的にみて、それが社会的見地から不相当とされる程度のものである場合には、性的自由ないし性的自己決定権等の人格権を侵害するものとして、違法となるというべきである。
これを本件についてみると、前記一1ないし3で認定した第一審被告乙川及び第一審原告の年齢、経歴、婚姻歴等に、右性的言動の行われた場所、第一審原告の対応等からすると、三月二七日の強制猥褻行為はそれ自体違法である上、その前後の二月三日以後四月上旬までの第一審被告乙川の第一審原告に対する言動は、社会的見地から不相当とされる程度のものと認められ、第一審原告の人格の尊厳性を損なうものであることが明らかであるから違法というべきである。また、八月七日の殴打は理由は何であれ、それ自体違法な行為であることは明らかである。
2 しかしながら、四月上旬以降の第一審被告乙川の第一審原告に対する態度ないし対応、すなわち、昼食に帰宅しなくなったり、掃除の仕方に注意を与え、金銭管理をさせなくしたなどの行為は、丙田という老練な男性の助言を背景にした第一審原告のセクシュアル・ハラスメントとの抗議により、第一審被告乙川が、それまで第一審原告を自己の性的な関心の対象としてしか見ていなかったのを改めて、本来の使用者、被用者という労使関係にあるものとして、ビジネスライクな対応をするようになり、第一審原告の仕事に対する冷厳な評価をするようになったことにもよるものであると認められる。そうすれば、先に認定した第一審原告の家政婦としての適切でない仕事振りからすると、第一審被告乙川の右以後の対応は、嫌がらせとしての面があったことは払拭できないものの、違法とまで未だ認めることはできない。
なお、第一審被告会社が第一審原告に、ボーナスを支給しなかったことは第一審被告会社に明確な支給規程がなく、従業員である第一審原告の第一審被告会社に対する具体的権利とまではいえない面があり、第一審原告の勤務期間、勤務成績及びその態度等からして、当季のボーナスについて零査定されたことは仕方がないというべきであり、これが他の従業員との不合理な差別であるとはいえないし、ましてや前記性的言動に対する抗議行動の報復であったと認めることもできない。
また、前記認定の事実からすると、第一審被告会社は、九月一四日に第一審原告を解雇したものと認められるところ、最も雇い主との人的な信頼関係が要求される家政婦の職務内容、元はと言えば第一審被告乙川の違法な言動が原因しているとはいえ、第一審被告乙川のした指示が、すべてセクシュアル・ハラスメントであるとして、口頭及び文書で執拗に抗議する態度からして、九月上旬時点で、両者の信頼関係は完全に損なわれるに至っていること及び第一審原告の家政婦としての能力に疑問の点があることからすれば、同月一四日付でした第一審被告会社の第一審原告に対する普通解雇の意思表示が、使用者に認められた解雇の権利を濫用した違法なものとは認めることはできない。
そうすると、第一審原告が就職後、解雇に至るまでの一連の第一審被告乙川の言動が、全体としてセクシュアル・ハラスメントに該当する違法な行為であるとの第一審原告の主張は採用することができない。
3 右に認定したとおり、第一審被告乙川の第一審原告に対してした強制猥褻行為を含む二月三日以降四月上旬までの性的言動及び八月七日にした殴打行為はいずれも違法であるから、第一審被告乙川は、第一審原告に対し、民法七〇九条に基づき、右違法行為によって被った損害を賠償すべき義務がある。
また、第一審被告会社は、本店所在地でもあり、種々電話連絡等もある代表取締役宅の家政を一手に委ねるために第一審原告を採用したものであり、第一審被告乙川が第一審原告から食事等の家政の提供を受けることは、妻の家出後であること、第一審被告乙川自らがそれを受けて昼夜を問わぬ第一審被告会社の役務を現実に担っていた等の特殊な事情を考慮すれば、第一審被告乙川の職務とは別の個人的利益とは認めることはできず、むしろ職務行為ないしはこれと牽連する行為と認めるのが相当である。そうすれば、この間になされた代表取締役である第一審被告乙川の前記違法行為について、第一審被告会社は、第一審原告に対し、民法四四条一項によって損害賠償すべき義務を負うものと解するのが相当である。
五 損害
1 慰謝料
前記認定の第一審被告乙川の第一審原告に対する各違法行為の内容、経緯、被害の程度等本件審理に現れた一切の事情を勘案し、特に、第一審原告は、就職当初から飲酒の上とはいえ、塗師とともに第一審被告乙川とのきわめて卑猥な会話の中で容易に性的対象になると誤解させる余地もある会話をし、さらには第一審被告乙川の下心を早期に、容易に分かった筈であり、かつ他に幾らも方法があったにもかかわらず、夜間第一審被告乙川が留守であったとはいうものの、降雪を理由に一度ならず第一審被告乙川宅に宿泊し、入浴するなど、自ら第一審被告乙川の違法行為を招いた責めなしとはいえない本件では、第一審被告乙川において反省もなく、終始違法行為を否認している事情を参酌しても、第一審被告乙川の本件各不法行為による第一審原告の精神的苦痛を慰謝するには、第一審被告らは、第一審原告に対し、一二〇万円を支払うべきものと判断するのが相当である。
2 弁護士費用
第一審原告が弁護士である同訴訟代理人らに本件訴訟行為を委任していることは当裁判所に顕著な事実であり、本件事案の内容、その審理経過等に徴すると、本件各不法行為と相当因果関係にある弁護士費用は一八万円をもって相当と判断する。
六 抗弁について
第一審被告らは、第一審原告の本訴提起が虚構の事実に基づくものであって違法である旨主張するが、前記認定のとおり、第一審被告乙川は第一審原告に対して違法な性的言動を行ったことは明らかであり、第一審被告らの右主張はこの点において既に失当であり採用の限りではない。
七 結論
以上の次第で、第一審原告の第一審被告らに対する各請求は、一三八万円及びこれに対する不法行為の後である平成四年一月一八日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は失当として棄却すべきところ、これと一部結論を異にする原判決を第一審原告の控訴に基づき変更することとし、また、第一審被告らの本件各控訴は理由がないから棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官笹本淳子 裁判官宮城雅之 裁判官氣賀澤耕一)